餅つきがすんだ。正月を待つのみ。


今日は恒例の餅つきである。昨日から諸準備。臼と杵を洗い、餅米を水に浸して一晩ねかす。午前11時ころから開始した。今年は那智とその子供2人、智佳そして臼杵の両親も来て賑やかな餅つきになった。このアナログな行事が終わらないと、年末を迎えた気にならない。搗き手は自分だけと覚悟していたが、二人の娘が手伝ってくれた。女の子だからと侮ってはいけない。15kgほどを3時間あまりかけて搗きあげた。昨今は機械でつく方法もあるし、店で買うこともできるが昔ながらの餅つきにこだわるのはなぜだろうか。ぺったんぺったんやらないと、なんとなく餅を搗いた気になれないのである。そして、この光景が子どもたちの記憶に残ることを知っているからである。僕とつれあいと二人でやるのではなく、子や孫も一緒にやるのがなおいい。
 俊造が生きていたころは、餅が終わったら彼が主役で年越しの蕎麦を作っていたのだが、僕は蕎麦まで手を出せない。残念ながら俊造のように器用でないのだ。(省象)