小さな美術館のチャレンジ

 芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋、瞑想の秋、収穫の秋、自省の秋。9月の声を聴くと、もういつまでも昼寝をしているわけにもいかないと、自省するこの頃である。とにかく今夏は言葉にならない。某政権党のキャッチコピーに、日本を取り戻す、とあったが、まず最初に30年ほど前のほどほどに暑い夏をとりもどしてほしい。そして、夏の夕立も。そういえば、一度も夕立がなかった年も珍しい。
 花の木だよりの更新を怠っていたら、心配してくださる方がいて連絡をくれた。PCの調子が悪かったのと、暑さのせいにして一寸サボり癖がついていた。反省。     
 美術館を開館して一年。俊造の作品を通して、人の顔が違うように、一人一人の感性も異なると云うことをつくづく感じさせられる。展示された作品について、各自の受け取り方や、好みが様々に分散する。その感想や意見を聞かせてもらうのがとても楽しい。
 僕らは日常的に目にするもののカタチを、俊造の作品と無理やり合致させようと試みると、違和感が生まれる。もののイロやカタチはある時点の一時的現象で、それはすべて仮の姿にすぎないのではないか。美術表現は既成のイロやカタチに囚われる必要はないことを実践していたのだろう。秋になって、頭がすこしクールになったら作品をとおして俊造と対話をしてみよう。
 小さな美術館のチャレンジはこれからも続く。 (省象)