佐 藤 俊 造 略 歴
1954. | 大分県 速見郡 日出町 大神生まれ |
1969〜72. | 杵築高校在学中 演劇及び文芸同人誌発行に励む |
1972. | 上京、築地の水産会社で働く |
1973. | 独学で絵を描き始める |
1976. | アジア・北アフリカ・欧州を旅する |
1981〜83. | Basicゼミナール ( 横浜 ) に参加 美術研鑚を積む |
1990. | 結婚 |
1991. | 九州に還り、杵築市に居住 創作に励む |
1992,11 | 妻 かおる病にて他界 |
1999〜2001. | 日出町大神に、棲み家・アトリエ・倉庫を構築 花の木砦と称し、創作活動を続ける |
2010,11 | 病にて他界 ( 享年57歳 ) |
1982~2010. | 横浜・東京・大分・福岡・長崎などにおいて 個展を 18 回開催 集団展に 9 回参加 |
2005. | 歌集「 虹 夏草 泥亀 」上梓 |
佐藤俊造作品発表の足跡
〈 個展 〉
1985 | 『 谷神 』 | ギャラリールナミ | 東京 |
1986 | 『 台座の光景 』 | 秋山画廊 | 東京 |
1988 | 『 胡蝶の夢 』 | 秋山画廊 | 東京 |
『 Heaven Island 』 | パラディソ | 東京 | |
1990 | 『 迷宮の星よ 』 | 秋山画廊 | 東京 |
1991 | 『 迷宮の星よ・Vol.2 』 | 湯布院駅ホール | 湯布院 |
( ドゥローイング展 ) | ゆふいんの森号 ART.G | 久大線 | |
1994 | 『 海の樹 』 | クアージュギャラリー | 湯布院 |
1995 | 『 挽歌 93・94 他 』 | 大分県立芸術会館 | 大分 |
『 往還記 』 | ギャラリー「 港の見える丘 」 | 別府 | |
1996 | 『 四位一体説 』 | ギャラリーとわーる | 福岡 |
1997 | 『 風景の誕生 』 | 大分県立芸術会館 | 大分 |
1998 | 『 象の響 』 | F.D.ギャラリー | 福岡 |
1999 | 『 蛇の歌 』 | ギャラリー真沙良 | 日出 |
2002 | 『 虹の根方に泥亀の唄を聴け 』 | 大分県立芸術会館 | 大分 |
2007 | 『 汎絵画百景 』 | 大分県立芸術会館 | 大分 |
2009 | 『 風景のトルソ 』 | 大分県立芸術会館 | 大分 |
2010 | 『 天網恢恢、疏にして失わず』 | ギャラリーデボラ | 大分 |
〈 集団展 〉
1982 | 『 グループ B・ 18 』 | 郵便貯金ギャラリー | 横浜 |
『 Basicゼミナール展 』 | 市民ギャラリー | 横浜 | |
『 神無月乱反射 』 | 平和島公園 | 川崎 | |
1983 | 『 Basicゼミナール展 』 | 市民ギャラリー | 横浜 |
1984 | 『 グループ A・ 18 』 | Gartギャラリー東京 | 東京 |
1989 | 『 神奈川 アートアニュアル 』 | 県民ホールギャラリー | 横浜 |
1997 | 『 ベネフィット展 Bゼミ 30 』 | ヒルサイドテラス | 東京 |
1999 | 『 GAW 展・ パート 1 』 | 新宿ゴールデン街 | 東京 |
2009 | 『 ima 展 』 | 遠藤周作文学館 | 長崎 |
〈 コラボレイション 〉
1998 | 『 象の響 』 シタール奏者 小崎 アイカ と |
F.D.ギャラリー | 福岡 |
1999 | 『 蛇の歌 』 シタール奏者 小崎 アイカ と |
ギャラリー真沙良 | 日出 |
弟様の作品展示と立派なギャラリー建設おめでとうございます。
軒の井に素晴らしい芸術と文化の爽やかな風を!!
期待致しております。
コメントをいただき ありがとうございます。
地道にやっていきたいと思っていますので
今後とも宜しくお願いします。
「花の木美術館」オープンのご案内をいただきました。結構会っていたようで、僕は結局、俊造君とじっくり話す事がなかったのです。生きる速さと言いますか生き方といいますか、置かれた環境がえらく違っていましたからね。でも、お互いに認め合っておれたなあと、振り返っています。時間と仕事に追い回されていた私とは違って、彼はきちんと自分の人生を生きた。実はずうっと彼の生き方が羨ましかった。佐藤俊造と言う人生があった事を忘れません。
省象さんとお義姉さんの弟を思う気持ちに私からも感謝申し上げます。開館おめでとうございます。彼のことを思い出しながら、少し立ち止まって自分の来し方を振り返ってみようと思います。
気持ちのこもった文面、拝見いたしました。
いつでも 立ち寄って 俊造さんの作品と
対話してください。
美術館オープンおめでとうございます。
昨日は興味深いお話に、つい長居をして申し訳ありませんでした。“む”は一気に読みました。“鶏頭の花”はぼちぼち味わって読むつもりです。美術や歌を通して、また詩や文章を通しての自己表現が、俊造さんや省象さんの創作の原点なのでしょうか。
帰りには、やはり深江の回天神社に足が向きました。
家に戻ると玄関の棚に飾ってある、写真立ての中の絵葉書「岬にて」´96・4が迎えてくれました。
お野菜ありがとうございました。
先日は山から帰ったばかりでお疲れのところ、お出で頂きありがとうございました。昨日は石松さんが見えられて、いろいろお話しました。あなたと石松さんの接点も少しみえました。いろいろつながって不思議な縁があるものだと改めて感じます。
またおいでください。
今度は是非 山のお話も聞かせてください。
今日は遅くなってしまったにもかかわらず、快く対応していただきありがとうございました。
作品と展示の両面に胸打たれ、俊造さんをはじめて辿るような感じでした。
美しいファイルの一冊ごとに、その年の個展にかけた姿勢が伺われました。
俊造さんがご家族にこんなに愛されていることも知りました。
来ていただいて本当に嬉しいです。
いろいろお話ができてよかった。
「 ひば窯 」さんにもお邪魔しに行きたいと思っています。
昨日は、コーヒーまでいただき、ありがとうございました。
あの後、石ころたちの美術館も見せていただきました。その後の帰り道で、回天の遺構にもたどり着けました。本当に直ぐ傍でした。時間が無くなってしまったので、ゆっくり見れませんでしたが、また次回見に行こうと思います。美術館のご健闘をお祈りして居ります。
先日は、ご夫婦でおいでくださり本当にありがとうございます。返信が随分遅くなり、申し訳ありません。
私達も湯布院へ行き、そちらにお邪魔したいと思っております。
奥様によろしくお伝えください。
今日は第4回展を見せて頂き良い気分の一日になりました。
有り難うございました。
俊造さんが短歌をたしなまれていたことを初めて知りました。
絵と同様平板な視点では無く鋭い意外性のある感受性を持たれていたのが強く印象に残りました。私は趣味とはいえ写生の域
を出ず、対象物に対する真剣さの違いを思い知らされた気がし
ました。
矢頭さま、コメントをありがとうございます。
確かに俊造さんは、するどい感受性を持ち、様々なことに真剣に向き合って生きてきたんだと思います。
このことは、このような形で作品を見つめ直す機会を持つことができた私達も改めてまた感じ入る次第です。
お二人が、戦後間もない頃に設立されたチャーチル会の会員であること、そのチャーチルさんが数多くの素晴らしい絵画を遺されていることなど、お二人のお話から初めて知ることができました。
いろいろとお話を聞かせていただき本当にありがとうございました。