現在展示中の作品に、「海への道・涅槃まで」という題の絵がある。画面全体にはしっかりと赤を塗りこんでいる。そして、上部から右斜め下に白い帯状の曲線が下りてくる。さらに左右に黒を基調とした細い線が走り、画面の中央部あたりで交差する。最初にこの絵を展示したとき、強すぎる赤に、ちょっとえげつない絵だなあと、あまり気にいらなかった。ただ、このタイトルが気になった。海と涅槃。
僕は昨年秋から、早朝の散歩をするようになった。そのコースの一つに糸が浜と呼ぶ海岸線を取り込んでいる。ここは砂浜と磯が両方楽しめる程よい散策コースである。東向きのこの海岸は天気が良ければ日の出を拝むことができる。そんな時にはお天道様に向かって柏手を打つ。話がわき道にそれたが、その時間帯の朝焼けが毎日違う容貌を見せる。空を焦がす朝焼け、海を染める朝焼け、強烈な紅色から淡いピンクとさまざまに楽しませてくれる。
ある朝、不思議な体験をした。朝焼けを全身で受け止めながら歩いてるとき、この景色の中を歩いていると、涅槃にたどり着くのではないかと思った。俊造はこの一瞬を描いてみたいと考えて、「海への道・涅槃まで」をつくったのかもしれない。そういえば彼もよく明け方の海を歩いていたと聞いたことがある。
ぼくのこじつけかもしれない。でも、案外そこにヒントがあったとしても不思議ではない。その体験があってから、絵が奥深いものに見えてきた。 (省象)
あの絵にそんなタイトルが付いていたとは知らなかったけれど、
えげつないという感覚は私も持っていた。
それは一面にすぎないのに、俊造の持つ底しれない感性を解ろうとするのは無謀だったとしか思えない。
修行僧のように厳しく自己を律する半面、濁り水も飲んで見なくてはわからないとでも言いたいように走り抜けた・・・・・深くて大きくてどんなにあがいても追いつけない。
明け方の風景の中で感じたそれは、言いようのない幸せな不思議体験だったんだろうね。
私もあるよ。
時は春 陽は朝 あしたは七時・・・・と続くワーズワースの詩(海潮音の中)の感覚を体現した経験が。
そう、「今この瞬間命が終わってもいささかの悔いもない」という至福の一瞬でした。
俊造はこんな経験を幾度も経験していたのかも知れないね。