彼岸も終り、明日からは 10月。 朝晩の冷え込みはすっかり秋である。田圃の稲も本格的に色づき始めた。実りの季節の到来。
今展示中の作品に「豊饒」と題するものがある。この作品の形が実にユニークで、何処からこんなフォームが生まれたのだろうと展示開始いらい考えているが、未だに分らない。多分、俊造は、そんなこと考えんでもいい、見たまま、感じたままでいいんじゃあ。と答えるだろう。
ただ、この色合いは万物の稔りの季節を表しているのではなかろうかと思う。特に黄金色の稲穂の波打つ様を眼をにすると、その思いは強くなる。こんなことを、生きている時に云うと、「兄貴がそげえ想うんなら、それでいいんじゃ」と返ってくるに違いない。解釈を押し付けることはしなかった。
話は変わるが、少し涼しくなって来館者がいくぶん増えたようである。 ( 省 )
秋だね~
この絵、「豊饒」なんて名前が付いていたとは気づかなかった。
ここだけの話、黄金のマンタか蝙蝠を連想していたのだ(発想の貧困さが恥ずかしい)。
名前を知って改めてみると、稜線の頂きから射すわずかな光が、稔りの時を迎えた大地の広がりを一層豊かに見せている気がする。
俊造さんは この作品を、『 風景のトルソ 』というタイトルの展覧会で展示しています。
『 トルソ(torso) 』とは元来彫刻用語で、首も手足も取り去られて、胴体だけになっている人体彫刻の呼び名、とのことです。
殆ど説明のようなものは書き記してないのですが、この展覧会に際しては、 「 写生的な風景画としてではなく、外界の事物等を契機として、心に刻み込まれる光景を、身体感覚として受け止めたいという想いからでした 」と 『 風景のトルソ 』という言葉に思い至った経過を綴り、「 最初のラフスケッチを描いた10数年以上も前と、意図は少し変化しています 」とも書いています。
余談ですが、中学校の美術室には 石膏でできた、この『トルソ』が置かれていたことを思い出します。
でも これは、(作品の話に戻りますが) 見た瞬間 同じように「黄金のマンタ」と、思った方は多いんじゃないでしょうか(笑)
実際にそう言ってくれた方もあります!
他にも「噴火直前の火山」「蝶々が羽を広げている」
等々。
そんな中、俊造さんとは面識のなかったある一人の方が 、
「この作品を作った時、作者はとても充実していたんでしょうね」と言われたのです。
私たちも見ていて そう感じます。
俊造さんが「草刈りをした後、水風呂で汗を流してぼーっと昼寝をする爽快感を 感じていた」時期とも重なるようです。
「 豊穣 」ではなく、「豊饒 」にしていることからみても、ありとあらゆるものの豊かな(満タンな)状態を表現しているように思えます。
( 純代 )