今日は俊造の命日。朝は結構な底冷えでした。2年前の早暁、病院から故人のなきがらをアトリエに運び込んだ時も冷え込みの厳しい晩秋でした。
供養のために、菩提寺につれあいさんと出掛け、3回忌のお勤めをしてもらいました。その帰りに、お弁当を買ってアトリエに立ち寄りそこで昼食をとりました。数日前、墓掃除は済ませました。その時にふと思ったことがあります。墓掃除をしながら、先祖に思いを馳せるのはなかなかいいことだなと。
するのではなく、させていただく。そんな気持ちになるのも、年のせいか。 (省象)
今日は俊造の命日。朝は結構な底冷えでした。2年前の早暁、病院から故人のなきがらをアトリエに運び込んだ時も冷え込みの厳しい晩秋でした。
供養のために、菩提寺につれあいさんと出掛け、3回忌のお勤めをしてもらいました。その帰りに、お弁当を買ってアトリエに立ち寄りそこで昼食をとりました。数日前、墓掃除は済ませました。その時にふと思ったことがあります。墓掃除をしながら、先祖に思いを馳せるのはなかなかいいことだなと。
するのではなく、させていただく。そんな気持ちになるのも、年のせいか。 (省象)
そうでしたね。
今日の花の木だよりを読み、
それまでや、その日のこと、
そこにまつわる日々の色々なことが
一気に頭を巡り、
少し涙が込み上げてきました。
23日に帰った際に、ゆっくりお参りしたいと思います。
そうね、2年前のあの期間はいろんなことが凝縮されていた という感じもするね。
昨日のことのように覚えているし、これから先もずっと覚えているだろうと思う。
今回のように、家族や親戚が集まった時に、みんなで俊造さんにまつわる話をすることは、生きている私たちにとっても 大切なことなんじゃないかな 。
今朝はとても気持ちよく写真と対話できました。
没後二年になる10月中旬、写真から冷たくぞっとするような感覚を受け、茫然とした瞬間がありましたが、今思うとあの時彼の心が本当に昇華していったのだという気がします。
命を削って描いた作品が輝きを放つ場所を得られ、通りすがりの人が何気なく立ち寄って観てくれる、それは彼が最も望んでいたことだったし、あの空間の持つ雰囲気、居心地の良さは、ギャラリーとも大きな展示場とも違う、ある種の荘厳ささえ漂っている気がしました。
アトリエでは感じなかった「醍醐」の持つ深い意味合いを自分流に感得できたことに感謝しています。
有難う!
じっくり読ませていただきました。
特に、「10月中旬・・・」のくだり、これはひょっとしてとても重要なことなのかもしれません。
あとは、この美術館を任せられている者として一番大切なこと、それは 初心を忘れないこと だと思っています。
今後も「花の木美術館」を訪れてくれた方が、何かいい感情をもって扉をあとにしてくれると嬉しいですね。
俊造君の3回忌には出席せず申し訳ないと思っています。
今日写真を見ました。大変楽しそうな集まりですね。
俊造君、喜んでいる事でしょう。
では又。孝嗣