子どもの目線

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先日、近所の保育園から年長組の子供たちが散歩に来てくれました。
絵を触らないこと、などの約束して館内に入ると 一人の女の子が
「あー、前と違う!」とすぐに気づいて口にしたのです。
前回来てくれたのは 3月。
「よく気づいたね、すごいね✨」と褒めると、少し恥ずかしそうに
していました。

この日は、作者の「佐藤 俊造」という名前と、好きな絵のタイトルを
みんなで覚えて帰りました。
担任の保育士さんより「園に戻ってからも、しっかり憶えている子供が
多かった」とのこと。

「風景の誕生」の立体物を見て「船」や「とんぼ」。
「白光」の白い部分が「雲」に見える 。
「豊饒」は「蝶々みたい〜」等々。
子どもの目線で様々な想像力を働かせてくれました。

小さい頃に、こういった作品に触れるということはとても貴重な体験だと思います。
色彩感覚豊かな俊造さんの作品を、より多くの子供たちに見て欲しいです。

風景の誕生

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佐藤俊造の遺作展第三部が5月30日から始まった。
大きな七作品が展示されている。その中の一つ、正面の壁を占めている不思議な作品は、鑑賞者の心や考え方を様々な方向から刺激してくる。
 風景という言葉で、私たちは波穏かな広い海の向こうに島があり、帆掛け船が浮かんでいる眺めや、草原の彼方なだらかな丘に家が点在して森や林の上に青い空が広がり、白い雲が浮かんでいる、そんな景色を思い浮かべる。あるいは古い街路に沿って立ち並ぶ西欧の街のたたずまい等である。
 これらは極めて具体的な風景である。もしこれらを写真のように絵に描けば大勢の人が、そうだねと頷く典型的な風景画になる。しかし展示されている作品は少し異なった切り口から作成されている。一言で云えば [具体的な物だけが風景ではない、意識されたものが風景だ] という事になろうか。
 作品は縦横2m×3mの大きなものである。その画面に黄や緑、青や赤の明るい色が、茂った木の葉のように隙間なく、一見無秩序にしかし一定のリズムで塗られている。
平面いっぱいに広がる意味の分からない迷彩は観ているだけですぐに飽きる。あたかも広い海に小さな波がたくさん描かれているようなものだ。退屈である。では、退屈しない単調にならない重み付けとは何だろう。
 それこそが美術、芸術の本質に関わってくるものではないか。
綾のない布地、色調のない下地などは見ていると直ちに退屈になる、つまらない、欠伸が出る等、身体的な拒否反応が出てくる。その時この布地に一本の明瞭な線、あるいは真紅の点がしっかり打ち込まれていたならば、いやでも人は、それは何だろう、何のつもりだろう、それとも何かの間違いか、などと考える。この時、人は既にその点や線に捕らえられている。眠気は吹っ飛び、意識はその対象に釘付けにされたのだ。脳はその点や線を巡って活発に活動している。
 この脳の働きを知る作者は作品の上に一工夫を凝らしている。
 作品の真ん中から少し上寄りに、ステンレスの細い棒とアクリルの薄い板を組合わせて作った一体のオブジェを組み込んでいる。それは多くのアンテナを備えた通信衛星のような姿をしている。この立体オブジェから前方に突き出された肢のような長い四本のステンレス棒は四方に放射される銀色の光線だ。
 立体のオブジェ本体を形づくっているアクリル板には赤や青の彩色が施されて居る。上方からの照明を受けて、オブジェは己が立体である事を主張して明るい迷彩のカンバスの上に黒々とした影を落としている。
 この昨品は画面中央の立体オブジェの黒い翳と四方に放射される銀色の光がなければ、ほとんど作品として意識されることはないだろう。もしかすると作品その物さえ見過ごされてしまうかもしれない。あの壁面には何か大きな画が懸っていたなと言う程度の印象で。
 こう考えると画面いっぱいの明るい迷彩は背景、下地としての役を演じ、立体オブジェは意識を覚醒させる綾又は点か線の役割を持っている。平面の上に立体のオブジェが組込まれると、観る人の意識は必ずそこに行く。同時にオブジェ自体も立体であることを主張し始め、迷彩画面はオブジェをしっかり下支えするという本来の役割を果たす。この時初めて作品は鑑賞者の前に、その全貌を以って立ち顕われる。
 意識されるものと意識されないもの、意識されるものは風景として存在するが、意識されないものは風景として存在しない。
 その風景として存在するものを支えている背景、下地、微かな物音など、あまり意識されない無意識の世界に属するものにまで意識が及び光が当たるとき、それまで風景でなかった物が風景として意味を持ち、立ち顕われる。それこそが「風景が観る人の内に誕生した」瞬間である。意識されなかったものが明確に意識され始めるその刹那を、色と容に定着させた作品がここに提示されている。
作品の名は 「風景の誕生」。

2013年 6月10日 佐藤 孝嗣(長兄)