大神小学校3年生の俊造さんの担任をされていた
魚住修三先生がご自分で撮られた写真を、A4サイズに
引き伸ばして持って来てくださいました。
一番左側に立って野球帽を被っている まだ
あどけなさの残る少年が俊造さんです。
ちょっと解りづらいと思いますが、ほぼ中央で
やはり野球帽を被り しっかり正面を向いています。
前から 2列目、左から6番目です。
まだ 、空港が 大分市内にある頃です。
左から2番目の方が 魚住先生です。
偶然、同じ時間に来あわせた 岩田さんご夫妻や
田口さんと美術館の玄関前にて。
月別アーカイブ: 4月 2013
歌集「 虹 夏草 泥亀 」
『 和光同塵 』
絵画や彫刻に題名があること自体は、特に違和感はない。私の乏しい経験からすると、題名と作品は一目で一致することが多い。たとえば「静物」「港の風景」「里の秋」「廃線」「読書」「幼子」とあれば、題名を聞いただけで絵が自然に浮かんでくる。展覧会を覗くとよく経験することである。それはある種の予定調和をしており、題と作品がうまく合致していることで観る者に安心感を与えてくれる。そして、写実的によく描かれていると、観る者もそれ以上考える必要はなく納得する。多分これらの作者にとって、作品とは描かれた絵そのものであり、題は付属物か説明文に過ぎないのだと思われる。ぼくもそれになんら違和感なく、当然のことと受け止めてきた。
ところが俊造の作品は題名が添え物ではなく、絵と題が一体化して作品を構成しているようだ。題に手抜きをしない絵描きとでも云うのがいいのかもしれない。俊造の個性なのかぼくの乏しい知識ではわからないが、題をおろそかにしない作家といえるだろう。それだけに、題名一つにぼくらが考える以上のエネルギーを傾注している。来館者の感想で「絵もさることながら、この言葉がすごいですね」と言われる方が稀にいる。伝わっているのだ。
展示室の正面に掛けてある絵を見て、『和光同塵』の意味を改めて調べてみた。才能をひけらかすことなく俗世の中に塵となり溶け込むこと、である。この絵は花の木のアトリエを完成させ、そこを定住の地として住み始めた直後に制作している。今にして思えば、俊造はこの作品をとおして、それから先の自分の生きざまを決意表明していたのだと解釈できる。
たしかに、俊造は地域の人々との付き合いや、田舎特有の風習を忌み嫌うでもなく淡々と過不足なくこなしていた。しかし、彼が絵を描いていることを知っている人は多くはなかった。この絵に込めた俊造の思いを、今頃になって理解しながら眺めると、なるほどと思う昨今である。ただ、彼の才能がいかほどのものであったかを測る能力を持ち合わせていない僕が言うのも変だが、一見の価値がある作品である。実はそんな理屈抜きでこの絵を観ても愉しめる作品である。 (省象)
『 海への道・涅槃まで 』
現在展示中の作品に、「海への道・涅槃まで」という題の絵がある。画面全体にはしっかりと赤を塗りこんでいる。そして、上部から右斜め下に白い帯状の曲線が下りてくる。さらに左右に黒を基調とした細い線が走り、画面の中央部あたりで交差する。最初にこの絵を展示したとき、強すぎる赤に、ちょっとえげつない絵だなあと、あまり気にいらなかった。ただ、このタイトルが気になった。海と涅槃。
僕は昨年秋から、早朝の散歩をするようになった。そのコースの一つに糸が浜と呼ぶ海岸線を取り込んでいる。ここは砂浜と磯が両方楽しめる程よい散策コースである。東向きのこの海岸は天気が良ければ日の出を拝むことができる。そんな時にはお天道様に向かって柏手を打つ。話がわき道にそれたが、その時間帯の朝焼けが毎日違う容貌を見せる。空を焦がす朝焼け、海を染める朝焼け、強烈な紅色から淡いピンクとさまざまに楽しませてくれる。
ある朝、不思議な体験をした。朝焼けを全身で受け止めながら歩いてるとき、この景色の中を歩いていると、涅槃にたどり着くのではないかと思った。俊造はこの一瞬を描いてみたいと考えて、「海への道・涅槃まで」をつくったのかもしれない。そういえば彼もよく明け方の海を歩いていたと聞いたことがある。
ぼくのこじつけかもしれない。でも、案外そこにヒントがあったとしても不思議ではない。その体験があってから、絵が奥深いものに見えてきた。 (省象)